皇后さまになられる雅子さまですが、最近体調が回復されていることが私たちから見てもなんとなくわかりますよね。
本当に嬉しく思います。
ここまで来るには、時代の変化とともに少しずつ色々な考え方が変わってきたからではないでしょうか?
結婚当初から良くなかった体調
私たちに正式に雅子さまが「適応障害」と発表されたのは、ご結婚後しばらく経ってからのことでした。
しかしながら体調不良は結婚当初からすでにあったといわれているのです。
「ご成婚当初の東宮御所には、明るさがありました。皇太子にようやくお嫁さんが来たという嬉しさが漂っていた。ところが、すでにその時、『朝は調子が悪くお見送りができていない』と噂が流れていたのです。後からこんな状況になってしまうとは、一体どうしたものかと、不安になりました」
しかし、実は結婚以前から、キャリアウーマンである雅子妃を皇室に迎えることを不安視する声が、宮内庁内部で上がり始めていたというのです。
精神科医の香山リカ氏はこのように指摘しています。
「皇太子のプロポーズ自体が、『皇室には君の能力が必要だ』という意味の、いわばヘッドハンティングでした。雅子妃にしてみれば、恋愛を成就して結婚したというより、キャリアアップのために皇室に〝転職〟した、くらいの気持ちだったのかもしれません。雅子妃は『外交官は一生の仕事』と話していました。皇室外交という言葉が、彼女の気持ちを動かしたのです」
しかし、いざ皇室に入ると雅子さまが想像していたものとはまるで違う現実が待っていたのです。
「雅子妃は、いまだにそのギャップを乗り越えられずにいます。むしろ、キャリアウーマンとして培ってきた強い意志を捨てられず、一歩も妥協できていない状況です。雅子妃が、万一皇太子妃とならず、外交官としてキャリアを積んでいたなら、同じような仕事をしている人と結婚して、国際的に活躍されている緒方貞子さんのような人生を歩んでいたかもしれませんね」(前出・香山氏)
雅子さまが、「自分の能力を活かして活躍したい」という想いは〝勉強が出来る女性〟特有の感情です—そう語るのは、雅子さまの大学時代をよく知る女性で、彼女もまた、東大を卒業した秀才です。
「東大出身者をはじめ、勉強が出来る女性は試験の成績がよく、偏差値の高い学校に入ると、自分は能力が高いんだと誤解してしまいがちです。そして、これは私自身にも言えることですが、常に自分のプライドを満足させたいという気持ちを軸に行動してしまう節がある。成績は、人間の総合的な能力の一部分でしかないということが言葉ではわかっていても、最終的にはそこを自分の拠り所にしてしまう。男性に対しても、自分の能力を認めてくれる人にだけ過剰に甘え、他の男性は軽視するか無視する、という傾向があります。
女性の場合、社会に出れば成績や能力以外のものも要求される。いくら学校の成績がよくても、それだけでは幸せになれないよとか、いい結婚はできないよと言われるたびに、被害者意識に陥って、周囲を拒絶してしまうようになるんです」
ご結婚当初は、私たちの期待も大きくどんな活躍をしていただけるのだろうと胸を膨らませていましたが、雅子さまは色々な環境の変化についていくことが精一杯だったのかもしれませんね。
出産後さらに体調が悪くなる
雅子さまが適応障害と診断されたのは2004年のことです。
しかしご体調の変化から病気かもしれないとご自分で訴えられたのは、それよりも遡る、2001年に愛子さまが生まれた後でした。
やはり一番に、愛子さまご誕生の前から、お世継ぎについての重圧で雅子さまは疲弊していたようです。
あの当時は、世間の期待も今よりずっと強かったように思います。
宮内庁の幹部の中には「雅子妃は外国に行きたがってばかりで、お世継ぎ問題を真剣に考えていない」と歪んだ見方をする人も多かったようです。
実際に、両殿下もお子さまの誕生を待ち望んでおられていたようですが、なかなか恵まれない状況でした。
18年前のことですが、子どもができるのは当たり前で、できないのは女性が悪いという時代錯誤な見方が残っていましたよね。
現在ではようやく子供を持たない生き方が認められるようになってきましたが、まだまだ世間の偏見は残っているように思います。
結婚から8年が経ち、ようやく世継ぎ誕生となりましたが、早々に第2子の男子が期待されてしまいました。
宮内庁としては皇位継承問題を考えると色々あると思いますが、その苛立ちは雅子妃に向けられ続けたのでしょうか。
いまだにどこの家庭でも世継ぎ誕生を考えられ、男子が期待されることも多いようですので
王位継承となると、その当時は当たり前だったのかもしれませんね。
雅子さまは身も心も疲れ切っていたようです。
そしてご自分の存在を見失われて、ご体調は悪化する一方だったのでしょう。
宮内庁のある職員は「雅子妃は体調が悪いと訴えて、やりがいがないと思われている国内公務に消極的なのだろう」と漏らすほどだったと言います。
周りの職員も今回のことに関しては未経験で知識も少なく、雅子さまの体調不良の発見が遅れてしまったことは残念でなりませんね。
まとめ
ようやく回復の兆しが見られてきた雅子さま。
新しい時代になり、以前のキャリアウーマン時代よりも一段と飛躍したお姿を見られる日が近々来るのでは?と嬉しい期待でいっぱいですね。
私たちも、ゆっくりと暖かい目で見守り続けていきたいですね。