羽生結弦選手はよく海外のインタビューで英語で答えていますよね。
ハードなフィギュアスケートの練習をやりつつ英語の勉強なんて、いつしているのでしょう?
特別な勉強法があるのでしょうか?
羽生選手がどうやって英語を勉強したのか調べて見ましたので、ご覧ください!
目次
英語を学ぶキッカケは?
2012年、羽生結弦選手が当時17歳の時にブライアン・オーサーコーチと契約し、オーサーコーチーの指導拠点である「クリケット・クラブ」があるカナダ・トロントに渡ることとなりました。
羽生結弦選手がオーサー氏をコーチに決めた理由は、ハビエル・フェルナンデス選手が、
オーサー氏から指導を受けていたことで4回転ジャンプの精度が上がったことに着目し、
自分も「最大の武器である4回転が安定すれば、スケーティングや表現力など、他の部分も上達するチャンスが出てくる」とう考えからのようです。
中学、高校の英語の成績はオール5
中学から高校では学校の成績もオール5だったという羽生選手ですから、さぞかし英会話が得意だった、と考えてしまいますが特別英会話を習ったことはなかったようで、会話は学校で教えてもらっただけ。
なので、はじめてカナダに行った時には、
・ 返事は”yes”しか言えない
・ ナイアガラの滝に行ってみたいけど、英語が怖いから家を出れない
という状況で、コーチのブライアン・オーサとは会話が成立していないところからのスタートだったようです。
そのせいもあって、スケートの練習に支障が出ていたため、一時期はとても悩んでいたそうです。
羽生選手はカナダにいながらも、次第に練習以外は家から出ず、引きこもる機会が増えてしまったそうです。
今のあの積極的な羽生結弦選手からは、引きこもっている姿は想像もできませんね。
母親の一言が自分を変えるきっかけに!
そんな羽生選手の背中を押したのは、一緒にカナダに渡って生活していた羽入選手の母親だったようです。
英語を話せないことに劣等感を抱いていた羽生選手をそばで見守っていた母親が、彼に言った言葉、それが大きな励みとなったようです。
羽生選手の母親は、「スケートだけを学ぶんじゃなく、ここで生活をしていくというつもりで頑張りなさい」と。
羽生選手はその言葉がきっかけで英語の勉強を本気で頑張るようになります。
最初は身振り手振りでコミュニケーションを取ることにチャレンジし始めたようです。
例え英語がうまく話せなくても言いたいことは伝わるはずだと。
また、英語のインタビューを受ける際は、あえて通訳を通さず、自分の耳だけで聞き取って、自分の言葉で答えるようにしはじめたといいます。
あの羽生選手も初めからなんでも積極的ではなかったのですね。
お母さんの一言がキッカケとなった、というところはやはり羽生選手の素直さからきていると思いますので人格形成がしっかりしていたのだと思います。
それからは、カナダで引きこもりがちだった生活もあらため、積極的に外出し、現地の人と英語で話す練習を毎日心がけたそうです。
スケートクラブでの英語学習
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羽生選手は積極的な行動に出る他に、所属しているカナダ・トロントの「クリケット・クラブ」にある英語学習教室で出来る限り勉強することを心がけたようでした。
日常生活だけでは、単語や言い回しも思ったほど急速には増えませんよね。
特に羽生選手のようにスケートを中心にした生活の中では、決まり文句や単語だけで十分にコミュニケーションできるようになってしまいます。
そこで、お母さまの言った「スケートだけを学ぶんじゃなく、ここで生活をしていく
というつもりで頑張りなさい」という言葉に従い、カナダで生活して困らないような英語力をつけるために、勉強を始めたようです。
また、今後のインタビューではスケート以外のことも聞かれるでしょうし、コーチや仲間との日常会話も増えてくるでしょうから、あえて広がりのある表現や単語を覚えていくための場所を設けたようです。
そう考えると、ここまでのインタビューを英語でできるようになったのはスゴイことですね。
オーサコーチや親友の織田信成も、英語の上達を認めていた!
実際、オーサーコーチもインタビューで以下のように言っています。
「昨年の1年は、弓弦と私が、お互いを理解し合うのに時間を費やした。
そして、2年目である今年は、コミュニケーションが良く取れるようになってきている。
今では何をしたいのかを探ったり、推測したりしなくても分かり合える。」
「知っていると思うけれど、彼は英語の勉強を続けている。英語を習得しているよ。時々、彼は質問内容を理解せずに、イエスとノーを言ってきたこともある。でも、今、彼は時間をかけて質問を考え、自分の感情や求めらている回答を説明してくれるよ」
まとめ
金メダルをとるだけでもすごいことなのに、やはり色々な面で努力しているのですね!
これからの英語の上達もとても楽しみですね。
また勝利のインタビューを上達した英語で話してくれるときがくることを願っています!