2019年4月9日、麻生副総理より新紙幣についての発表がありました。
新紙幣の発表会見の際に、新しい日本のお札の画像や裏面のデザインについても発表されましたね。
紙幣を一新するのは2004年以来、約20年ぶりとなるようです。
麻生氏は理由について、偽造防止の観点からこれまでも約20年ごとに変えてきたと説明しています。
今月1日の新元号発表と続いたことについては「たまたま重なった」と説明しています。
財務省は、新紙幣・硬貨が発行された後も現行のお金は引き続き使えるとして、「現行のお金は使えなくなる」などとかたる詐欺に注意するよう呼びかけています。
注意が必要ですね。
目次
一万円札
一万円札の肖像画には、「資本主義の父」と呼ばれた実業家の渋沢栄一が選ばれました。裏:東京駅丸の内駅舎
なんだか日本の紙幣ではない感じがしますよね。
数字のデザインイメージは大きいですね。
渋沢栄一とは?
近代日本経済の父といわれる渋沢栄一は天保11年(1840)深谷市の血洗島の農家の家に生まれました。幼い頃から家業である藍玉の製造・販売・養蚕を手伝い、父市郎右衛門から学問の手ほどきを受けました。7歳になると下手計のいとこの尾高惇忠のもとへ論語をはじめとする学問を習いに通いました。
20代で倒幕思想を抱き、惇忠や惇忠の弟の長七郎、いとこの渋沢喜作らとともに、高崎城乗っ取りを計画しましたが、長七郎は京都での見聞からこれに反対し計画は中止されます。その後、喜作とともに京都へ向かい、一橋(徳川)慶喜に仕官することになりました。
一橋家で実力を発揮した栄一は27歳の時、慶喜の弟徳川昭武に随行し、パリ万国博覧会を見学し、欧州諸国の実情に触れることができました。明治維新となって帰国すると日本で最初の合本(株式)組織「商法会所」を静岡に設立し、その後明治政府の大蔵省に仕官します。栄一は富岡製糸場設置主任として製糸場設立にも関わりました。大蔵省を辞めた後、一民間経済人として株式会社組織による企業の創設・育成に力を入れるとともに「道徳経済合一説」を唱え、第一国立銀行をはじめ、約500もの企業の設立に関わったといわれています。また約600もの教育機関・社会公共事業の支援と民間外交にも熱心に取り組み、数々の功績を残しました。渋沢栄一ミュージアムより引用
渋沢栄一記念館
埼玉県深谷市に渋沢栄一記念館があるのはご存知でしょうか?
ここには渋沢栄一翁の肉声テープをはじめ、資料を展示しています。
館内の渋沢栄一資料室には、栄一翁の遺墨や写真など、たくさんの資料が展示されています。
また、記念館北側には、論語を手にした栄一翁の銅像が赤城山をはるかに望んでいます。
都心からも二時間ほどで行けますので、小旅行にぴったりですね。
https://www.shibusawa.or.jp/museum/ http://www.city.fukaya.saitama.jp/i/shibusawa_eiichi/
深谷市は今回これでかなり有名になりましたよね。
東京駅丸の内駅舎
赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らが設計したもので、1914年に竣工、2003年に国の重要文化財に指定されている。「関東の駅百選」認定駅でもある。
当駅から乗り換えなしで実に33都道府県と結んでおり、1日当たりの列車発着本数は約3000本という日本を代表するターミナル駅の一つである。プラットホームの数は日本一多い。
ウィキペディア(Wikipedia)より引用
改めて見ると、東京駅は本当に日本を代表する駅なのですね。
5千円札
5千円札には「女子教育の先駆者」と言われる津田塾大学創始者の津田梅子氏です。
裏:藤の花。
真ん中に大きな数字が入る、今までとはだいぶ違ったデザインですね。
津田梅子とは?
「環境より学ぶ意志があればいい」
「何かを始めることは優しいが、それを継続することは難しい。成功させることはなお難しい」
この言葉をご存知でしょうか?
津田梅子さん(1864年ー1929)の名言です。
明治の教育者、津田塾大学創設者でもある津田梅子さんは6歳でアメリカ留学を果たしています。
その時に留学していた山川捨松と永井繁子が津田塾大学を設立する際に助力しています。
帰国後は3年あまり英語教師として教えることとなったようですが馴染めずにいたようです。
この間に結婚の話もあったようですが「二度と結婚の話はしないでください。話を聞くだけでもうんざりです」と手紙にしたためたほど、日本の結婚観に辟易して生涯未婚を誓ったそうです。
明治21年には、留学時代の友人が来日し、彼女に薦められて再度の留学をし、その留学中に日本の実情を訴える公演などで寄付金8000ドルを集め、1891年に「日本婦人米国奨学金制度」を設立しました。
帰国後、制度を利用して計25人の日本女性をアメリカに留学させました。
帰国するとまた英語教育に従事、生涯独身を貫いたのです。
墓所は、東京都小平市に在る津田塾大学の構内にあります。
まさに新しい時代にぴったりの女性ですね。
藤(フジ)は女性らしさの象徴
藤は日本古来の花で、花言葉は「優しさ」「歓迎」。
香りが強く、たおやかに咲く藤は古来から女性らしさの象徴と考えられてきました。
『枕草子』では「めでたきもの」として「色合ひ深く、花房長く咲きたる藤の花、松にかかりたる」と語られています。
千円札
千円札には、「近代日本医学の父」と言われる北里柴三郎氏です。
裏:富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」
数字も大きくなり、やはりおもちゃのようなイメージもありますよね。
北里柴三郎とは?
北里柴三郎は、1853年1月29日、現在の熊本県阿蘇郡小国町北里で生まれた。
18歳で熊本医学校(現熊本大学医学部)に入学。その後東京医学校(現東京大学医学部)にも入学し、在学中に「医学の使命は病気を予防することにある」と確信。予防医学を自身の生涯の仕事にすることを決めたという。
伝染病予防と細菌学の研究に勤しみ、1894年には香港でペスト菌を発見した。
1914年、東京・白金に北里研究所を創立する。教育活動にも大きく貢献し、福沢諭吉没後には慶應義塾大学医学科の創設に関わった。
1931年6月13日、脳溢血により78歳で死去。没後の1962年、北里研究所創立50周年を記念し、北里大学が創設された。
北里大学は、北里柴三郎の業績は「科学者としての真の学問追求」、「社会事業家としての国創」、「教育者としての人材育成」に集約される、と評している。
医療費などを抑える意味でも、これからは国民全体で予防医学に取り組む時代になってきました。
まさに時代の人、ですね。
神奈川沖浪裏
神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」は、葛飾北斎の名所浮世絵揃物『富嶽三十六景』全46図中の1図。現在は「神奈川沖波裏」とも表記する。大錦横判(横大判錦絵)。「
凱風快晴」「山下白雨」と合わせて三大役物と呼ばれる同シリーズ中の傑作で、画業全を通して見ても最も広く世界に知られている代表作である。さらに加えて、世界で知られる最も有名な日本美術作品の一つでもある。 ウィキペディア(Wikipedia)より引用
500円貨幣
新札にあわせて、500円貨幣(硬貨)も刷新されるようです
偽造を避けるために色々な工夫がされているようです。
新500円硬貨は「バイカラー・クラッド」と呼ぶ新技術を導入。ニッケル黄銅と白銅、銅を組み合わせるもので、財務省が公開したイメージを見ると、銅を白銅でサンドイッチ→これをニッケル黄銅にはめ込む──というもののようで、外観はニッケル黄銅と白銅の2色に見え、その中身は3層になっているようです。ATMや自動販売機などでは偽造硬貨を合金の電気伝導率などから判別しているので、素材を複雑に組み合わせることで、より偽造防止効果を高めるようです。
素材は現行硬貨が銅72%、亜鉛20%、ニッケル8%のニッケル黄銅なのに対し、新硬貨は銅75%、亜鉛12.5%、ニッケル12.5%になります。直径は26.5ミリと同じ大きさですが、量目は現行の7.0グラムから7.1グラムへと変わります。
まとめ
いかがでしたか?
まさに気分を一新!というところでしょうか。
元号も変わり、紙幣も新しくなるとすると、新しい時代への期待が高まりますね。