ジャニー喜多川さんが多くの人に惜しまれながら、天国へ旅立たれました。
そんなジャニー喜多川さんが大事にしていたことは、何だったのでしょうか?
たくさんの方から一目を置かれ、なおかつとても愛されていたジャニー喜多川さんについて調べてみましたので、御覧ください。
ジャニー喜多川さんはいつから芸能活動をしていたの?
msnニュースより引用
ジャニー喜多川さんはアメリカのロサンゼルスで生まれています。
ちなみにご両親は日本人です。
ジャニー喜多川さんは、太平洋戦争中にアメリカに強制収容されていた、ということです。
このような生い立ちがあって、英語が堪能でいらっしゃったのですね。
「YOUなんとかしちゃいなよ!」というセリフはとても有名ですよね。
ジャニー喜多川さんが、タレントの人たちに「敬語は堅苦しいから禁止」としたためみなさんがタメ口で話していることはとても有名ですよね。
このようなことも、もしかするとアメリカの文化を人間関係にも上手に取り入れていた可能性がありますね。
misaglobal.comより引用
その後、日本に送還され、大阪に住み始めたとのことです。
《僕は最初からマネージャー志願者でね。タレントになりたいとか考えるより以前に、マネージャー業みたいなことをやってましたんで。とにかくショービジネスをしたいと。中学生くらいのころから裏方はずいぶんやりましたよ》
msnニュースより引用
中学生のころから、いろいろなことを経験されていたのですね!
しかし、戦後子どもたちだけでまたアメリカへ行き、ジャニー喜多川さんはロサンゼルスの高校へ進学しています。
そこであの美空ひばりさんに出会い、芸能界に興味を持ち、日本へ再来日し、今度は上智大学へ進学しています。
その上智大学在学中にバンドを結成し、芸能界へ参入しています。
ここまできくと、とても波乱万丈の人生ですよね。
そして、美空ひばり出会ったことがやはりとても大きな転機となったことは間違いないのでしょうね。
ほとんどすべてのタレントを自分一人でオーディションしていた?!
geitopi.comより引用
社長として人より高い位置にいるのではなく、常にタレントの方と同じ目線ではなしていたというジャニー喜多川さん。
とても親しみのある、話しやすい存在だったからこそ、あんなにも多くの人から愛されていたということがわかります。
ジャニーズ事務所は、それこそ名だたるメンバーが揃っていますが、ほとんどのタレントをジャニー喜多川さんが発掘したというからすごいですよね。
「売り込みの履歴書が来るとジャニーさんがひとりで目を通して、その名からピックアップした子を1対1でオーディションしていたそうです」
msnニュースより引用
やはり、ジャニー喜多川さんはご自身のいろいろな経験を踏まえて、こういう子供なら将来こんな風になる、という確信みたいなものがあったのでしょうか?
「子どもたちが最初“誰、このオジサン?”と思っていると、ジャニーさんが“これからオーディションやります”と言うんです。そこでのリアクションで、裏表がある子なのかどうかを見極めていたそうです」
msnニュースより引用
「光GENJIはジャニーさんが“ローラースケートやりたい人”と声をかけ、手を挙げたのがあの7人。V6も“バレーやらない?”で決まったそうです」
msnニュースより引用
男の子だけを集めてグループを作るという独特な感性の持ち主で、「ジャニーズ顔」という言葉まで世間一般に広まりましたね。
すべてのグループが当たり前に売れ、世の中にものすごい影響をあたえてくれたジャニー喜多川さんの能力に、改めて尊敬いたします。
まとめ
いかがでしたか?
ジャニーズの方々は、自分の魅力を発見してくれたジャニー喜多川さんを、いつまでもいつまでも胸にとめて、これからもどんどん活躍することでしょうね。
ご冥福をお祈りします。